こたえは、私の内にある!
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Author:takabit
ご縁があって、いきなり「ワンダラー」の仲間入り。
マジ?

そうかも?

きっとそう! 

とにかく走りながら考えることにした。
寅年生まれの牡牛座、B型。
夫と子ども3人、猫2匹も同居。



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自分の番
長男、17歳。

高校一年で不登校になり、高2の春に中退後、しばらくは、昼夜逆転で家にこもっていわゆるネットばかりの日々。
なかなか出口が見つからず、「死にたい」的な言葉を吐いていた時期もあった。

その後、彼なりの心の整理もついたのか、ぼちぼち外に出て行けるようになり、去年の夏に高卒認定試験に合格してからは、バイトと個別指導の塾通いの日々を送っている。


おととい、雨の日。
いつもとかわらぬ口調で話しかけてきた。
「友達が亡くなったので、お通夜に行きたい」と。

高校に通っていない彼の友人とえいば、中学時代の友人かネットを通じて知り合った友人と限られるわけだが、どうも、ネットの友達らしい。
母さんはどうせ知らないからと詳しくは話してくれないが、何度かオフ会で会っていて、メールなどでやり取りしていた子らしい。

年はひとつ上18歳。自殺だったそうだ。

何を着ていったらいいのかとか何を持って行ったらいいのかとかいうので、弟の学生服ズボンを借りて、普通の白のカッターを着ていくよう伝え、お香典を用意し持たせた。

JRで1時間強の見知らぬ街へ、たったひとりで出かけていく長男を見送る。
なんか普通の高校生みたいなんだけど、その制服姿が見慣れなくて不思議な感じだ。

夜遅く戻ってきて、「どうだった?」と尋ねると、当然ながら知り合いはおらず、また、詳しい事情など聞ける雰囲気でもなかったらしい。
ただただ母親が泣き崩れていたのが辛かったそうだ。
落ちついたら、また改めて家を訪ねてみるつもりだと言う。

そうだね。
あなたが知っているその友人のことを話してあげるのも供養になると思う。

「なんとかやっていけるもんなのになあ」と淡々と話をしているのを見ると、なんだか知らない間に、ずいぶん大人になったなあと思う。

そうだよ、なんとかなるようになっているはずなのに。
思いっきり笑える日がぜったい来るはずなのに。
この世にあるこの命は、神様から授かったものだから。


自ら命を絶ってしまったその友人を私は知らない。
ましてや、自殺の理由なども。

ただ、それを止められなかった、彼の周囲の人々が、それを背負って行くのを想像するだけで、胸が痛む。息子もその一人だろうし。



あいだみつおさんの詩から・・・。




うまれかわり

死にかわり永遠の

過去のいのちを

受け継いで

いま自分の番を

生きている

それがあなたの

いのちです

それがわたしの

いのちです


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父とはじめての旅行
9年前に母が他界、同居していた伯母が4年前に脳梗塞で倒れてからは、父がずっとひとりで介護をしていた。伯母の痴呆がすすみ、昨年グループホームに移ってからは、比較的のんびりとひとり暮らしをしている。

知人も多い住み慣れた土地を離れる気にはならないようで、まだ大丈夫といっているが、あれこれ心配ではある。

時々、帰省して家の片付けなどをしているのだが、父もだんだん家事がうまくなり、家もかなり片付いてあまりやることもない。たまには、日帰り旅行でもという話になる。

急遽南阿蘇方面に出かけることに。

さて、振り返って考えてみると、私とふたりだけで旅行にでかけるのは、はじめての事だ。
私の家族プラス父、私の夫プラス父という組み合わせは何度もあるのに・・・。

道中、昔話に花が咲く。


しっかりもので家を支えてきた叔母と仕事を楯に家事はいっさいしなかった母。生みの母と育ての母(伯母)との間が、ぎくしゃくしているのに気づいたのは私が小学校低学年だった。縁側で豆の皮むきの手伝いをしてたとき、突然、伯母が母の悪口を言い出したのだった。
その時のことはよく覚えている。(それまでは、なんの疑問もなく、伯母と母は私の中で同居していた。)

伯母のいうことはもっともで、家事をせず、子育ても伯母にまかせきり、ポリシーのない母をだんだん信頼できなくなっていった。

それから家族に対しては、あまり期待もせず、自分は自分というスタンスの子ども時代を送った。はめをはずすことこそなかったが、なにかを相談するということもなかったように思う。

父も年の離れた気の強い伯母には反発できず、かといって母のマイペースも困ったもので、板挟みになっていたところもあっただろう。

父方の親戚筋からもなにかと頼られ人が出入りしていたので、母としてはおもしろくなかったと思う。買い物が大好きだったのは一種のストレス発散だったんだろうなあ。遺品の片付けには何年も要した。

私が心底母を認めることができたのは、他界してからだった。(遅いって〜)
ガンとわかってから、もう少し積極的に関わっておけばよかった、ゆっくり話を聞いてあげればよかったとかいろいろ悔やまれる。

姑、小姑もいる大家族、さらに親戚まで出入りする。

鈍くならなければ、身がもたなかったのかもしれない。

さらに、今回父との旅行で、衝撃の告白。
「好きな人との結婚を反対され、うちの条件でもいいといってくれる人ならだれでもよかった」って。そ、そうだったの?

見合いもそこそこに結婚が決まったそうだが、おかあさん、よく、嫁に来たよなあ。
何を考えて嫁いできたのか、生きていたら聞いてみたいよ。
子ども3人は、伯母が育ててくれたが、母親として、そこのところはどう思っていたんだろう。


私は、結婚し家庭をもったとき、ふつうのお母さんになり、ふつうの家庭にしたいという想いを強く描いていた。
(バツイチ夫と20歳年が離れていてすでに一般的ではないが・・・笑)

手はあまりかけないけれど目はかけるという育児方針で、がんばってきたつもりだったのに、すんなりとはいかなかった。

ここ2年くらい子どもの問題で悩み、今やっとそのトンネルを抜けつつあるのは、自分の子ども時代を総括できたから、母を認めることができるようになったからというのもあるかもしれない。

父も何不自由なく生きてきたが、母が他界し、伯母の介護をひとりで引き受け、大変だったようだ。伯母の痴呆がすすみ、下の世話のみならず、たえず発せられる被害妄想的な発言に傷つき、自分が否定されるという日々。

父もこの2年は私とシンクロするように大変だったのだ。
なんか、一緒に苦労してきた同士みたいだね。

そんなこんなの思い出話をしながらのドライブはなかなか楽しかった。

また、一緒に行こう。お父さん。







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ワンダラーへの道 〜プロローグ〜
私はすっかりお手上げだった。

目の前で、眠り続ける次男。
もう、この状態では、どんなことをやっても起きない。
名を呼ぶ、揺り起こす、なにをしても反応はない。
力づくで起こそうとすると信じられない力で抵抗する。
目は固く閉じたままだ。そして、彼はそのことを覚えていない。

それは、一日が始まる朝の出来事。
そして、日中眠り続ける。ただただ眠り続ける。
そして、夜は、ひとり眠れない時を過ごす。

病院での診断名は「睡眠障害」

2005年、10月。
それは、次男中学1年の秋に始まり、今現在も続いている。


2006年、5月。
なんとか合格した高校になじめず、長男が不登校になった。

もう必死だった。
この子達の将来はどうなるのか、
なんとか二人を学校に行かせなくてはと。

ずっとベールのかかったような、そんな自分を責める期間も長く続いた。

この過程については、もう少し詳しく書いて行こうと思う。

それを続けて行くうちに、この出来事の意味もわかってくるような気がする。


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